こんにちは、夫婦で世界一周中のじゅんです。








government is kill me.

政府がぼくを殺す。



会話の途中で出てきたワードは、とても物騒な言葉でした。





以前、イラン人は優しい!という記事を書きました。

あの記事から約1週間ほど経ちましたが、その時の気持ちは変わらず穏やかな日常を過ごしています。

というより、イラン人優しいなーという気持ちはより強くなっています。

(インド人に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいけど あいつらマサラと青唐辛子を混ぜて飲みそうだな)




これ食べなーって言って手作りサンドイッチをくれたり、

ホテルを探してるのか?と、遠いホテルまでわざわざ案内してくれたり(ホテルの勧誘かと思ってたら本当にただ案内してくれただけだった)、

シェアタクシーで相乗りしたイラン人がジュースおごってくれたり。。




イランには現在10日間ちょっと滞在していますが、数々の暖かさを受け取っています。

手を振られたらぼくも笑顔で振り返したりと、凄く優しい気持ちになっています。

(しかし数日前に居た地域は気温が49℃を記録し死ぬかと思いました。気温は暖かいどころか地獄です)





優しく暖かいイラン人。




こんな優しい人種珍しいと思っていたほどですが、

少し話をすると、会話の中で不満が漏れることがしばしば。


不満の相手は自国の政府でした。




「イラン政府がアメリカとバチバチやっているせいで、イランの貨幣価値が落ちている。」

「ぼく達は海外に行くことがとても難しい。」

「イランは今、とても貧しい。」

「イラン人はハッピーではないよ。」

「ぼく達は政府が嫌いだ。イスラム教が嫌いだ。
こんなことを言うと政府がぼくを殺してしまう。」

「イラン国内で戦いが起こっている。とても危ない状態だ。」




など、会話した数人のイラン人から政府への不満などが多々出てきました。

もちろん、政府に不満がある?なんて聞いていません。

イラン人自ら話し始めています。

見ず知らずの外国人にまで愚痴りたくなるほど不満が溜まっているのかな。





以前、イランでの両替レートがとても良くなっているという記事をかきましたが、
それはイランの貨幣価値が下がり、イラン国民の多くは不安になっているはず。

こういう話をきいてしまうと、素直には喜べなくなってしまいました。





また、シューシュタルの水利施設で会話した管理人のおじさんが、こんな話をしてくれました。


おじさん「ぼくは4年間牢獄に居たんだ。」

ぼく達「え!なぜ!?」

おじさん「ぼくはイスラム教を辞めた。それで政府に捕まってしまった」

ぼく達「え・・・それで4年も!?」

おじさん「そうだよ。牢獄で右耳が聞こえなくなってしまったよ、ハハハ」

ぼく達(笑い事じゃねー・・・)





これはイランの事をもう少し知りたいな。

そう思い始めていた頃、イランとお酒の事情を調べている時に、イランの歴史が少し見えてきました。



イスラム教が国教であるイランではお酒の販売、醸造、飲酒が禁止されていて、街中ではノンアルコールビールのみ売られています。

(闇市場では売られているみたいですが)


女性はヒジャブ(髪を隠す被り物)などを強いられています。

旅行者も同様なので、奥さんは暑い上にヒジャブを被っていて、本当に辛そう。

男性も短いパンツの裾をまくってはダメで、長ズボンのみとなっています。



しかし、そんなイランもほんの少し前までは、こんなに厳しい国では無かったようです。


ぼくが産まれる少し前、1979年までは、

普通にお酒が飲めて、女性も髪型をオシャレして、肌の露出が多いノンスリーブで過ごしたりしていたそうです。




それが1979年2月に起こったイラン・イスラム革命により、イラン国内での生活がガラリと変わったそう。


いや、イラン・イスラム革命前後にもそれに通ずる色々な物事が起こっていますが、ぼくも調べきれて無いので少し端折りながら説明すると・・・


イラン・イスラム革命により、イランは国民にイスラムの教えに則った生活を強要させます。

先ほどの、アルコールや衣服の制限です。



そしてイラン・イスラム革命前辺りから、イランとアメリカの関係が悪くなり、

革命後、革命軍によるアメリカ大使館占拠により、アメリカとの関係は大悪化。

アメリカによる国交断絶と経済制裁が始まります。



つまり、1979年辺りからイラン国民は、アルコールや衣服も制限された上に、制裁により経済的にも厳しくなっていったようです。

さらに最近またアメリカとの関係は悪化し、より貧しくなり、イラン人の不満が溜まっているよう。

その不満は対アメリカというよりは、前述したように自国の政府への不満のようでした。



このイランとアメリカとの関係は、調べれば調べるほど複雑に見え、あまり無知なぼくがこれ以上ブログで書くのもどうかと思うので、これまでにしておきますが、

優しいイラン人達と、そのイラン情勢のギャップがとても印象に残り、記事にしました。



正直こんな大規模な革命がほんの少し前に起こった出来事ということにびっくり。

(授業でならったのかな・・・)


それよりも、イランをまとめるべき政府により、イラン国民が苦しめられているということがショックでした。




観光地より国民が魅力的な国、イラン。


優しいイラン国民が幸せに暮らせる国になると良いなと、単純だけどそう感じました。








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